ソフトウェアエンジニアのキャリアなどについてダラダラと

本業ソフトウェアエンジニア、副業なんでも屋、自分の価値を最大化して社会に還元するために必要なことを模索する毎日です。

信頼して任せる覚悟

仕事でもなんでもそうですが、時として周囲を信頼して任せる必要がある場面があります。特に仕事では、マネージャーなどの役割を受け持つと、そういった場面は増えると思います。

「自分がやった方が早い。」

「自分が一番その物事や人のことを分かっている。」

そう思ってしまうことも多々あるでしょう。そして、その思いのせいで、周囲を信頼し切ることができずに、あまりよくない結果につながってしまう事があるわけです。本当はあと少し周囲に任せる事ができれば最高の結果になるはずだったけど、信頼し切る事ができずに途中で取り上げてしまってそこまで辿り着かない、なんてこともあるかもしれません。

しかし、人は何かを任されたときに大きく成長するという一面もあると思います。このとき、周囲に信頼されていればいるほど、その成長幅、達成感というものが大きいように思います。もちろん、うまく達成できなかった時の衝撃も大きいわけですが、その衝撃は次の成功につながる学びになるので、いずれにせよプラスといえるでしょう。そして、この成長をするためには、やはり周囲の信頼が欠かせないわけです。

例えば、小さな子どもを持つ親であれば、まずは夫婦や家族にしっかりと任せることができるのか。幼稚園の先生や保育士にしっかりと任せることができるのか。学校の先生に・・・と続いていくわけです。ここで途中で信頼する事ができずに取り上げて、全部自分でなんとかしようと考えてしまうと、少なくとも現代日本では少し生活がしにくいのかなと感じます。

少し話が散らばりましたが、改めて自分は周囲を信頼する事ができているのか、ということを考えてみると面白いかもしれません。

人として

結局最後は「人としてどうあるべきか」という単純で最も難しいところにたどり着くように思います。

会社員として仕事をしていると、どうしても取り組む仕事の成果などを大事にし過ぎて、もっと大事にすべき事柄を失うことがあります。人間関係などはその最たるもので、「本来の」自分であれば絶対にそんなことを言わないような発言をしてしまったり、人としてどうなんだろうと思えるような思考、行動をしてしまうことがあります。これは、本当は最も大事にすべきことを目の前の社会的な目標によって隠されてしまい、あらぬ方向へ進んでしまっている兆候になるわけです。

さて、人としてと言われても、改めて考えるとよく分かるようで分からないことにも思えます。学校の授業でいえば、道徳とかで習うような事柄に含まれることが多いと思いますが、会社人とか、学生とか、ニートとか、そういうのに関係なく、人間として守るべき大事なこと、ということでしょうか。こと日本においては、日本人として、現代を生きる上で必要なものが求められてくるわけです。

よく分かるようで分かりにくい、分かりにくいようで感覚的に分かりそう、育ってきた環境が違うと前提条件も変わるわけで、空気感で伝わる場合もあれば伝わらない場合も多々あります。(だからこそ、その「人として」の感覚が合う人とはまさに一期一会の素敵な出会いになるわけです。)しかし不思議なことに、この人は人格者だなと思える人というのは、大体誰から見ても人格者に見えるわけで、言葉では言い表せずうまく表現できないにも関わらず、みんなの中に共通してそれらを感じる能力が備わっているのかもしれません。はたまた、この現代の日本で生きていく中で、そういったものを感じ取る能力を養っているのかもしれません。

さて、長々と書いてきましたが、特にオチがあるわけではありません。2021年、お疲れ様でした。2022年は、「人として」恥じぬ生き方をしていきたいです。

期待に応えることの重要性

仕事などの場面で、他人から何かを期待されることというのは良くあると思います。一人前のプロとして仕事をしているのであれば、自分自身の役割の動きは少なくとも期待されていて、あわよくばプラスアルファで色々と取り組んでほしいという期待を受けています。そして、その期待にしっかりと応えることができる人が、いわゆる「できる人」と言われるのではないかと思います。

もちろん、他人の期待に応えなかったからといって、別に死ぬわけではありません。最低限の役割をこなしていれば、会社をクビになることもないでしょう。しかし、そういった期待に応えるという経験を積まずに日々が過ぎてしまうと、段々と期待されない人間になっていきます。そうなると、何ともいえない、張り合いのない日々を迎えることになるのではないでしょうか。

よくよく考えると、普段から自分自身も、他人に対して色々と期待をしています。家族の中であればその役割を期待され、会社の中でも役割を期待され、友人関係でも「友人らしい」振る舞いを期待されることでしょう。その期待にしっかりと応え続けることで、その関係が良好に維持されていくという仕組みがあるように思います。逆にその期待に応えないと、段々と疎遠になっていく、関係が消えていってしまったりするわけですね。

もちろん、自分は生涯孤独で十分だ、などと思うこともあるでしょうし、そういった考えでも問題はないでしょう。しかし、少なくとも現代の日本において生活していく場合、やはり人間関係は切っても切り離せない要素になると思います。ふらっとコンビニに買い物に行って接する店員との関係でも何かの期待はあるでしょうし、オンラインゲームをしてたって画面の向こうに人がいて、何かを期待してくるわけです。となると、やはり他人の期待に応えるというのは、どうしても避け難い何か難しいものであって、それと同時に何か楽しい、人生にとって刺激的な要素になるのではないかと考えています。

改めて年初の目標を振り返ると

2021年も終わりに近づき、改めて年初に立てた目標を振り返ってみました。

今年は仕事もプライベートも本当に色々あった年だったこともあり、もはやこんな目標立ててたっけというレベルで忘れているものばかりでした・・・汗 しかし、忘れてはいるものの、本質的にはズレたことはしていなかったようで、ある程度は達成できたといえるような気がします。

さて、年始に目標を立てることにどれほどの意味があるのか、という疑問が湧いてきます。もちろん、毎年毎年こんな激動の一年になることはないと思いますが、それでもこの現代に生きている限り、特に IT 関係での進化の激しさから、1年間で世界がガラッと変わっていることなどもはや当たり前になってきています。民間人が当たり前のように(?)宇宙に行く時代です。もはや何が起きてもおかしくないでしょう。

目標を立てることは重要ですが、それをどのくらいの頻度で振り返るかということの方が、よっぽど重要なのかもしれません。振り返らない限り、まず基本的に忘れていくと思いますし、忘れてしまった目標をあとで見返した時ほど虚しいものはありません。目標を立てることと同時に、振り返ることまでセットで目標管理をしていく必要があるのですね。

そうなると、やはり肝になってくるのは周囲の人間関係になるように思います。自分一人で目標を管理するのはなかなか大変ですが、周囲に宣言したりすると、自然とそれを達成しようという思いが湧いてくるので、うまいこと目標管理が行われるという印象があります。自分自身への約束は簡単に破れますが(本当はこれはダメなのですが・・・)、他人への約束は簡単には破れませんからね。

2022年は、この辺の反省を踏まえて、飛躍の年にしていきたいところです。

「伝える」と「伝わる」の違い

「伝える」と「伝わる」は違う、という言葉を聞いたことがある方は多いのではないでしょうか。

「伝える」は自分が一方的にでも言ったら十分ですが、「伝わる」は相手の理解までセットでの言葉になるので、簡単な話ではない場合があるということですね。伝えたと思っていても伝わっていないことなど日常茶飯事です。表面的に伝わっていたり、部分的に伝わっていても、全てキッチリと伝え切るのはなかなか難しいものです。

しかし、この難しさを理解していない人がなかなか多いなと感じる場面も多いです。自分が一方的に「合理的に」(感情を抜きにして)伝えることで自分の仕事が終わったと勘違いしている人が多いと感じるからです。もちろん、仕事などの場面では、できるだけ感情を抜きにして「伝える」ことが重要になる場面もありますが、やはり人間同士のやり取りなので、どうしても感情は欠かすことができません。更に、人によって置かれている環境、前提条件が違うわけなので、しっかりと「伝わる」伝え方をするためには、かなりの苦労を要することになるでしょう。

これは、相手に対して「優しくする」なども同様ではないでしょうか。自分は「優しくしている」つもりであっても、相手にとって「優しくされている」と感じてもらえなければ独善的な行動でしかありません。自分にとっての優しさが、相手にとっては優しさではない可能性など、当たり前のようにあるわけです。先ほどの伝える伝わるの話と同様、相手の置かれている環境や前提条件などを考慮した上で、しっかりと自分の思いを相手に届けるという考え方が重要になってくるでしょう。この難しさが人間関係の大変さであると同時に、しっかりと伝わった時の充実感、幸福感などは良い面でもあると考えています。

答えは一つではない

仕事や人間関係の場面において、答えは一つではないと感じることがあります。

あるときはこのやり方が「正解」っぽかったけど、またある時はそれが「間違い」っぽい結果になる、こういうことは日常茶飯事かと思います。算数の問題などと違い、いろんな条件によって求められる最適解が違う、ということもできるでしょう。答えが一つではないからこそ、悩み、苦しみ、ときに楽しく、日々を生きていくことができるのでしょう。

さて、仕事の場面において、特にコロナ禍によって推進されたリモートワーク環境において、どうしても文字ベースでのやりとりが多くなり、必要な情報のみをやりとりする場面が増えました。文字ベースなので変に行間を読んだ結果、別に求められてもいないリアクションをしてしまったり、関係が悪化してしまったり、あまり良いことがありません。もちろん、文字ベースではないコミュニケーションにおいても、「必要な情報のみ」要求される場面はあります。しかし、そこには大きな落とし穴があるように感じます。

必要な情報、仕事を進める上で大事な情報というのは確かに存在すると思います。個人の感情を抜きにした数値など、戦略を立てる上で必要になってきます。しかし、仕事というのは基本的に人間関係の中で生み出され、実行され、達成されるものです。なのであれば、個人の感情を抜きにしたものだけで議論をしたとしても、やはり大事なものが抜け落ちてしまうように思います。

人と接する時、この接し方が唯一の正解、などというものはありません。ああいう接し方もあれば、こういう接し方もある。そうした多数の接し方を経ることで、何層にも重なった地層のように、深い人間関係が生まれてくるのではないでしょうか。どんな小さなやりとりでも、その判断から生まれる結果が一つの層になり、人間関係を深めるキッカケになるのです。

価値を届けることの難しさ

この手の内容はよく書いていますが、最近またこれを感じる出来事があったので、改めて触れてみたいと思います。

どういった仕事に携わっているにせよ、仕事の最終的な成果は「何かしらの価値」を「誰かしら」に届けること、だと思います。レストランであれば、お腹を空かせたお客さんのために美味しい料理を作り、届け、食してもらう。そして、満足してもらい、お金を払ってもらって帰ってもらう。ここでいう価値とは美味しい、お腹を満たすための料理で、それを食べてもらうことで価値を感じてもらうことができるわけですね。

さて、この価値というのは少し曖昧な響きがあります。人によって何を価値と感じるかは様々なので、曖昧になるのは致し方ない気もします。A さんにとっては美味しい料理でも、B さんにとっては美味しいと思わないかもしれません。C さんにとっては十分な量でも、D さんにとっては少なすぎると感じるかもしれません。人それぞれなので、その違いを見極めた上で価値を提供しないと、価値と認めてもらえない可能性があるわけですね。

さて、これは逆に(?)考えると、なかなか面白いことでもあります。A さんにとっては価値のないものと思い、捨てても良いとさえ思えるものが、B さんにとってはものすごく価値のあるものである可能性もあるわけです。C さんにとっては当たり前のようにできることでも、D さんにとっては難しくて絶対にできないと思っていることもあります。このある種のギャップによって生まれる歪みに、いわゆるビジネス的な種が眠っていたりするわけですが、今回はそこまで深掘りしません。

この、人によって感じ方がそれぞれ、というところにとにかく注目することが大事になります。逆に、ここを抑えずにどれだけ仕事をしようが、その努力が報われるかどうかはかなり運に左右されます。この、相手にとって価値があることは何なのかというところを意識し、そこだけをクリアできるように動くことで、最小限の努力で最大限の成果を得ることができるようになるわけです。そしてその際、相手にとっては実行が容易ではないことだけど、自分にとっては実行が容易なものであると尚良いです。それによって、更に効率的に価値を届けることが可能になるのです。