ソフトウェアエンジニアのキャリアなどについてダラダラと

本業ソフトウェアエンジニア、副業なんでも屋、自分の価値を最大化して社会に還元するために必要なことを模索する毎日です。

まず与えられることで、与えることができるようになる

「まず与えられることで、与えることができるようになる。」

そんな風に考えることがあります。

よく、自分が与えられたければ、まず自分から相手に対して与えるべき、というような話を聞くことがあります。これはもちろんその通りで、先に提供することで、提供してもらうことに繋がりやすい、信頼関係を構築しやすいというのはあると思います。

しかし、これはすでに「与えられた経験」がある人に限った話になってくると思います。更にいえば、「ここ最近で与えられた経験がある人」とも言えるでしょう。つまり、そもそも与えられた経験がない人、与えられた記憶のない人は、他人に対して与えることはできない、ということです。

所有していないものを他人と共有することができないように、まず自分の中に「与えられた経験」がない人は、そもそもどのようにすると他人に与えることができるのか、が分からないのです。なので、与えてくれる人がいる環境にいない人は、ある種「詰んでいる」状態にあるとも言えるかもしれません。

これは他人を信頼することにおいても同じことが言えるでしょう。他人から信頼されたことがない人は、他人を信頼することができない、方法が分からないのです。世の中では、「まず自分から」というのがよく言われますが、そもそもの方法が分からないのにそんなことはできるわけないのです。ただのポジショントークと捉えても問題ないでしょう。

さて、ネガティブな話ばかりしていて解決策らしい解決策が見つかっていないですが、まさにその通りでこの問題を解決するのはなかなかに難しいです。正直な話、引っ越しや転職など、環境を変え続けて、運よく良い人と巡り合うのに期待するしかないのかなと考えています。もしくは鋼のメンタルを獲得するか・・・。

いかにして「判断の回数」を減らすか

何事においても、判断が必要になる場面というのは多いです。

普段生きていて、意識していないような小さな物事でも、実は小さな判断を常に行なっていて、その判断が精神的な負担になっていることがあります。朝起きてすぐは調子が良いのに、夜になるとなんか疲れて良い判断ができないというのは、「判断疲れ」が起きている可能性があります。

いかに優れた人であっても、判断の回数があまりにも多ければ、それによってケアレスミスなどを起こしやすくなるでしょう。それを防ぐためには、いかにして「判断の回数」を減らすか、というのが大事になってくると思います。判断をせずとも、正しい行動を起こせるような「仕組み」を作ると言い換えることもできるかもしれません。

ボタンを100種類の方法で押さないと完了しないタスクというのは、途中でミスが起きる可能性が高いです。でも、1つのボタンを押すだけでタスクが完了するのであれば、まず失敗することはないでしょう。その1回に集中すれば良いだけで、1回だけであれば判断疲れ、ケアレスミスなどは起きにくいからです。

もちろん、何でもかんでも仕組み化して簡単にするというのは難しいでしょう。なので、その一連の行動の中で、「何が一番大事か」というのをしっかりと見極め、大事なものから順にやっていくというのも、一つの対策になるかもしれません。そして、判断疲れが起きそうなくらい回数を重ねたら、もうそれ以上やらないと決める。優先度が高い順に対応しているので、後の方になればなるほど優先度が低いので、やらなかったとしてもそこまで影響は大きくならないでしょう。

結局のところ、自分を律するのが一番難しい

結局のところ、自分を律するのが一番難しい。これはある種の真理のようにさえ思えます。

もちろん、一部の特定の職業などにいるような、持って生まれた能力をフル活用しながらも、日々の努力を怠らず、自分を律し、日々鍛えに鍛えている方達など、どうしても超えられない壁はあると思います。

しかし、ほとんどの場合において、自分を律して、自分で決めたことをしっかりと守り、日々の行動を実践、反省を繰り返すことができれば、それなりにレベルに到達するのは決して難しくないでしょう。

だけれども、実際にそんな風に日々行動する人は少数派のはずです。そんな風に行動する人ばかりなのであれば、日々の仕事がもっと過酷になっていることでしょう。「ダイエットは明日から〜」などと考えてしまい、自分を律せないのです。(懐かしい CM を思い出しました汗)

そんな状況であることは考えようによってはプラスになります。ちょっとでも自分を律して努力することができれば、大多数を上回ることができるわけです。持って生まれた能力の差を埋めるために、これほど簡単(?)なことはありません。(努力するのも才能だ、などという言葉を聞くことがありますが、それを言い出すとキリがないのでやめておきます・・・。)

さて、そうは言っても先ほどから書いている通り、一番難しいとさえ言えるのが自分を律することです。一筋縄にはいきませんが、「どうせ出来なくて当たり前、出来たらプラス」みたいな考え方だといつまでも出来ませんので、いかにうまく習慣化していくかが鍵になると思います。2022年は、自分を律せる年になりたいですね。(自戒の念を込めて・・・。)

誰でもできる、わけはない

よくネット広告などで、

「誰でも今なら達成できる!」
「何もしなくてもお金が稼げる!」

みたいなものがあります。
広告だけではなく、YouTube の動画などでも、
とにかく視聴数を稼ぐために煽りに煽りを重ねたり、
誰でも! 短時間で! などというものが溢れかえっています。

私は基本的にそういったものは一切信用していないのですが、
その理由はとてもシンプルで、

「時間は無限ではない」

という当たり前のことを理解しているからです。

時間が無限にあるのであれば、確かに誰でもなんでもできるようになるでしょう。
もちろん、オリンピック選手や何かの大会で優勝するなど、
そもそもの数が限られているようなものはどれだけ時間をかけても難しいかもしれませんが、
収入をいくらにするとか、テストで何点とるかなどといった絶対的な数値であれば、
時間をかけた分だけ得られるものがあるわけで、達成することもできるでしょう。

しかし、繰り返しになりますが、時間は無限ではありません。
みんな一律に有限の時間しか持っていないわけです。1日は24時間です。
となると、その24時間の中で、今自分が持っている知識や経験をベースにしたとき、
「誰でも、なんでも」というものが、いかにあり得ないかは分かると思います。

「この動画さえ見れば、誰でも年収1000万円!
(ただし、すでに年収1000万円相当の知識やセンスを持っている人が対象です)」

などのように、結局のところかっこがきで何か厳しい前提条件が入るわけです。
この見えないかっこがきにいかに早く気付けるかが大事なポイントになってくると思います。

特に、発信している側も、この見えないかっこがきに気付いていないケースがあります。
例えば、頭の良い人が教える勉強法は、頭の悪い人のことを理解していないものが多いです。
頭の悪い人は本当に1日1秒も勉強しないものですが、
頭の良い人は何も考えずに当たり前のように1日何時間も勉強していて、
またそれを「必死に勉強している」などと考えていないので、そもそもの前提条件が違うわけです。

誰でも、なんでもなんてのはあり得ない。
自分の持っている能力を活かして、自分のペースで自分の限界まで進むしかないのです。
無理せず一歩ずつ着実に、前に進んでいきましょう。

本物に触れることの大切さ

食べものなどが分かりやすい例ですが、
子どもの頃は嫌いだったけど大人になると好きになるものがあったりします。
もちろん、味覚の変化に合わせて、逆に
好きだったものがそこまで好きではなくなる場合もあります。
後者はさておき、前者については個人的にコレだという理由があります。
それは、「本物に触れたことがある」かどうか、というところです。

本物。
ここでいう本物とは、適切に美味しく調理された料理、とでもいいましょう。
例えばニンジンが嫌いな子どもがいたとします。
それは、多くの場合、ニンジンが

「美味しく感じられないような調理」

をされているからだと思っています。
もしくは、場合によってはそもそもの素材が粗悪だった、という可能性もあるでしょう。
冷凍食品などは、今ではだいぶ美味しくなってきていると思いますが、
私が子どもの頃などはそこまで美味しくないなと感じるものも多かったです。
特に野菜などは顕著で、そういったものを食べて野菜嫌いになるという人もいるのではないでしょうか。

ただ、先ほど書いたように、適切に美味しく調理されていれば、大体のものは美味しいはずです。
中には、体質的に受け付けないというものもあると思いますが、そういったアレルギーとかがなければ、
大体のものを美味しく感じることができるのではないでしょうか。

本物に触れることで、今まで自分が嫌っていたのはそれがある種の「偽物」だたからということが分かります。
あくまで偽物だったから嫌いなだけで、本物ならば好き、つまりそれは好きといえると思います。

これは食べ物に限らず、他の全てに適用できる考え方だと思います。
趣味で何かやるにせよ、仕事で何かやるにせよ、全て同じです。
その物事自身が良い悪いというよりも、それを取り巻く環境などの影響によって、
その物事自身の良さが隠され、悪い点ばかりが強調され、そこばかり見てしまう。
結果として、悲しいことにその物事を嫌いになってしまう。

そうならないように、意識的に本物に触れるような機会を持つのが重要になります。
また、今の時点で嫌いな物事があっても、それがたまたま本物に触れてこなかったから、
という可能性を考慮することができれば、好きになる可能性もあるといえるでしょう。

言語化すると染み込む

ふと子どもの頃を思い出すと、
好きだったマンガやゲームなどについて、
本当にいろんなことを覚えていたように思います。
何巻の何ページあたりにこんなセリフがあってとか、
ゲームの脇役のキャラクターの名前なども覚えていたり、
もはやなんであんなに記憶できていたのか不思議なくらいです。

もちろん、若ければ若いほど記憶力が良い、というのはあると思います。
しかし、それ以上に大事になってくるのが、反復、そして言語化だと考えています。

反復というのは文字通り、そのものごとをとにかく繰り返していくことです。
子どもの頃を思い出すと、クラスの友人たちとマンガやゲームの話をよくしていました。
そうすると、友達の A くんと話した後に B くんと同じ話をすることもあるでしょう。
マンガでいえば、お金のなかった子ども時代なので、
同じ週刊誌を何回も読み直したりして、自然と反復をしていました。

また、友達と共通の会話をするためには「言語化」が欠かせません。
キャラクターの名前にせよ、アイテムの効果にせよ、
口に出して会話をすることができないと、それ以上話が進みにくいですよね。
なので、自然と難しいキャラクターの名前でも覚えることができたわけです。
もちろん、嫌な勉強とは違って、好きで自ら覚えていったわけです。

そして、その反復と言語化を繰り返すことで、
どんどんとそれらの知識が身体に染み込んできます。
無意識レベルで、それらの言葉や意味合いを理解できるようになります。
何かを学ぶ上で、とても理想的な状態と言えますね。

さて、大人になった今、マンガやゲームを楽しんでいても、
なかなかそれを反復したり言語化する場面というのは減っていくと思います。
もちろん、そういう会話が尽きない理想的な人間関係があるという方もいると思いますが、
自分一人でもくもくと楽しんでいる、という方も多いのではないでしょうか。
また、コスパよりもタイパと言われる今の時代、
1つの物事を反復する機会も減ってきていると思います。

しかし、改めて子どもの頃を思い出し、
そして自分の人生を充実したものにしていきたいと考えた時、
この反復と言語化によって得られる学び、身体に染み込む感覚、
これらの重要性を見つめ直すのも悪くはないのではないでしょうか。

広く浅くより、狭く深く

仕事などで何かを学ぶとき、
広く浅くいくのか、狭く深くいくのか、
という選択をする場面があると思います。

一般的には広く浅いのをジェネラリスト、
狭く深いのをスペシャリストなどといったりしますが、
この呼称はもはやどうでも良いでしょう。

私自身は、結構広く浅く派ではあるものの、
まずは狭く深くを追求するのが大事だと思っています。
広く浅くというのは、いつまで経ってもその浅さから抜けきれず、
なんともイマイチな器用貧乏になりがちだからです。
もちろん、前述したような「ジェネラリスト」みたいな役割として、
その浅くても広い知見を活かして何かをするということもできますが、
やはり浅いものは浅い。イマイチ役に立ちきれないものがあります。

よく T 字型人材などと呼んだりしますが、
深いところが1つ以上ある状態で、それ以外を浅く学ぶことがあります。
これの何が良いかというと、1つは深く学んだことがあると、
その「勘所」のようなものを他の場所にも当てはめることができるのです。
そうすると、何もないところからその深さに到達するまでの時間を短縮することができます。
知識自体はなくても、追求するプロセスを理解しているということですね。

そうすると T 字型が2本3本と増えていき、
気づくと広く深い最強の人材が出来上がるのですが、
まずはそこまでは考える必要はないでしょう。
(そして、どんな人でもそういう人になれるかといえばそんなことはないです。
人生は有限なので、人によって限界はどうしてもあるでしょう。)

大事なことは、何か1つを突き詰めていき、そしてある程度の深さまでたどり着く。
そのプロセスをしっかりと理解し、自分の中のものにしていくということです。