ソフトウェアエンジニアのキャリアなどについてダラダラと

本業ソフトウェアエンジニア、副業なんでも屋、自分の価値を最大化して社会に還元するために必要なことを模索する毎日です。

論理的に考えるか、感情的に考えるか

論理的に考えるべき時と、感情的に考えるべき時。
そんなある種の極端な2つからどちらかを選ぶ必要が、
長い人生を生きていると生まれることがあります。

おそらく、多くの場合においては、論理的に正しい方を選ぶことになります。
社会に生きている以上、子どもでないのであれば、
やはり社会のルールを守る必要があり、
それは往々にして論理的に正しいものを選ぶことになり、
論理的に考えることが大事になる、という話になってきます。

しかし時には、感情的に考えることの方が大事になる場面もあります。
こちらも同じく、長い人生を生きていると何度か遭遇する機会かと思います。
感情的、つまり自分のある種の「ポリシー」「人生哲学」のようなものに照らし合わせ、
論理的に考えずに、自分の信念を優先する、という流れですね。

これらは、常に難しいバランスの中にあると思います。
どちらが正しいかを100%判断し切ることは難しいです。
どちらも正しいといえば正しいし、正しくないといえば正しくない。
ただただ、自分自身がそれをどう解釈するのか、という世界かと思います。

私自身、IT 業界に身を置く人間というのもありますが、
やはり論理的に考えてしまうことの方が多いと思います。
感情的にどうとかいうよりも、まずは論理的に正しいかを優先する。
しかし、ここぞというときは、何よりも自分を優先し、
自分の気持ち、感情、心、精神、なんと呼ぶかはさておき、
自分自身を保ち続けるための何かを優先し、論理的ではない「決断」を下す瞬間があると思います。

果たして自分はどういう決断を下せるのだろうか?
そんな疑問をふと思い浮かべた、涼しい秋の夜でした。

寿命

寿命、という言葉があります。
端的にいえば、生まれてから死ぬまでの期間のことですね。
平均寿命は何歳で〜〜、などのような使い方をします。

そして、この寿命というのはなかなか厄介なもので、
みんながみんな平均寿命まで生きるわけではありません。
早く死ぬ方もいれば、長く生きる方もいるわけです。
その結果としての、「平均寿命」となります。

そして、例えば病気になったり、事故や事件に巻き込まれたりして、
「本来は」こんなに早く死ぬはずじゃなかったのに・・・、
というような状況に陥ることもあります。
そうすると、寿命を全うせずに死んでしまった、と思うでしょう。

しかし、実際はそんなことはない、という説もあります。
病気や事故で死んでしまうのも含めて、その人の寿命である。
なので、その人は寿命から考えて早死にしたわけではないよ、というわけですね。

この考えがとても受け入れづらいものであることは容易に想像できます。
私も母を事故で亡くしていますが、そんなことを言われても納得いかない時期もありました。
しかし、どう文句を言ったって、後悔したって、生き返るわけではありません。
そう考えると、寿命がそこまでだった、と考えた方が何よりも適当な気もしてきますね。

さて、今この瞬間、私は死ぬかもしれません。
明日、朝起きてこないかもしれません。
そんな時、後悔せずに人生を終えることができるのか?

スティーブ・ジョブズの名言として知られる、

「もし今日が人生最後の日だとしたら、
今日やろうとしていることを本当にやりたいだろうか?」

私も今年で36歳です。
病気になったり、心身の衰えから事故に巻き込まれたりする可能性も増してきています。
果たして、自分は人生を全うできているのだろうか。
全身全霊をかけて、生き抜くことができているのだろうか。

改めてそんなことを考える、秋の夜です。

成長とともに発生するクセ

勉強でも仕事でも趣味でも、
何かのものごとに取り組み続けると成長していきます。
もちろん、何の目的もなくただダラダラと続けていては、
もしかしたら一切成長しないということもあるのかもしれませんが・・・。

そして、その成長をしていく過程で、
その人それぞれのクセのようなものが生まれてきます。
例えばサッカーなどの球技の場合、
平均すると同じような「うまさ」と呼べるようなプレイヤーでも、

「この人はパスが上手いが、逆にちょっとパスを大事にしすぎている」

みたいなことであったり、

「この人はゴールを決めるのは上手いが、ゴールを決めること以外はちょっと足りないな」

など。
同じように満遍なく成長するというのは基本的にはなく、
何かどこかの部分が突出して成長し、それ以外の部分は足りない、という状態になると思います。

私がいる IT 業界、ソフトウェアエンジニアがいる分野でも同様です。
こういうコードは効率的に書けるが、こういうコードはサッパリ分からない。
こういう業界の顧客折衝なら得意だが、こういう業界は知識がなくてサッパリ。
そんな中でも、たくさんの経験を積んでいく中で成長し、
苦手だったところもできるようになっていくわけです。

もちろん、その結果として満遍なく何でもできるようになる、わけではないです。
多くのものごとは、無限ともいえるようなレベルで取り組めることが存在し、
100%全てを遂行できるスキルを持つ、ということはありえないわけです。
となると、その「クセ」のようなものは、
イコールその人の「特性」であり「生み出せる価値」になるわけです。
その人にとっては何の変哲もない能力でも、
ある場面においては唯一無二の能力になったりもするのです。

逆に考えると、いくら頑張って成長していっても、
必要とされていない分野では必要とされないわけです。(当たり前ですが)
なので、その「クセ」をしっかりと見つめて、
自分がいるべきポジションを探し続けるというのも、
社会を生きていく中で重要な姿勢なのではないかと思います。

信頼を築くのは大変、壊れるのは一瞬

かなり使い古された言葉のように思いますが、
この言葉は本当にそうだなと感じます。

もちろん、何十年もの付き合いがある親友などが、
何か問題のある発言や行動をしたとしても、
それはもはや大事な家族のような存在であって、
ちょっとやそっとで壊れるような関係ではないでしょう。

しかし、社会生活を送る上で接する同僚や顧客などというのは、
そんな分厚い絆で結ばれた関係ではないわけです。
となると、ちょっとやそっとの失言や失礼な行動などで、
あっという間に信頼関係が壊れることはあるのです。

このブログでもしょっちゅう書いていますが、
プロとしてやるべきことを全うせずに、
それを顧客の責任とでも言うような態度を取ったりするのは、
まさに信頼関係を破壊する発言・行動の良い例でしょう。

顧客を職場の人間に置き換えても良いかもしれません。
上司からの指示、部下への指示、同僚との作業分担。
様々な場面での体験を通し、お互いに築いていく信頼関係。
やっと信頼関係が出来上がったと思った時に、
ふと気を抜いて失言や失礼な態度を取ってしまう。
プロとしてあるまじきことをやってしまう。
その瞬間に、一発退場になるわけです。

お互い、一人の人間であるという大前提はもちろんありますが、
その後にはお互いの「役割」がしっかりと存在しているわけです。
その役割を全うしないような発言や行動は控えなければならないなと、
そんな厳しいことを考える清々しい朝です。

早く結論を出そう

早く結論を出そう。
色んな場面でよく思うことです。

「これをやったら上手くいく気はするけど・・・」
「もうこうするしかないけど、本当にそれでいいのかな、今でいいのかな・・・」

人生長く生きていると、色んな決断を迫られるシーンがあります。
その際、どうしても勇気が出ず、
最後の一歩を踏み出せず、結論を出せずにグダグダと過ごしてしまいます。

個人的な経験として、最も分かりやすいのが最初の転職です。
転職も、一度やってしまうと2回目3回目はあまり抵抗がないのですが、
最初の1回はかなり抵抗があると思います。

「本当にこんなことをしていいのか?」
「自分は裏切り者なのではないか?」

などという感情が浮かぶわけです。
そして実際に、上司から「お前は裏切り者だ」などと言われたりするわけです。

しかし、どういうものごとであっても、
どういう結論であっても、
ほとんど全てのものは最初に考えた通りの決断にいきつきます。
なので、さっさとその決断を下した方が時間の短縮になるわけです。
そして、グダグダと色んなことを考えれば考えるほど精神的にも消耗するわけなので、
とっとと最初の決断を勇気を持って踏み出すことが何より大事なのです。
どれだけ時間をかけても、最初の決断が覆ることはほぼないでしょう。

となると、早く結論を出すのは何においてもメリットしかないわけです。
もちろん、それは分かっていても、ついついダラダラと決断を延ばしてしまいガチです。
私もよくやってしまいます・・・汗
しかし、やはりどれだけ色んな回り道をしても、行き着く結論は同じなわけです。

早く結論を出しましょう。
そしてそれは、99%くらいは最初に思った通りのはずです。

強くあれ

プロの仕事人として何かを遂行するとき、
やはり最低限の「強さ」が必要になってくると思います。

ここでいう強さとはもちろん暴力的な意味ではなく、
その道で歩みを止めなかった人間にだけ出てくる、
ある種の味と言いますか、その道にいない人には出せないオーラと言いますか、
「強い」と思わせる何かです。(とても抽象的ですが・・・汗)

もちろん、その強さとは一朝一夕に身につくものではありません。
5年10年、場合によっては20年とかという年月を経て、
ようやく得ることができるものもあるでしょう。
また、内容によっては、いつまでも得ることが出来ず、
一部の「センスのある」人にだけ与えられる特権のように感じてしまうこともあるでしょう。

もちろん、全員が全員その能力を得ることが出来たら、
それは需要と供給のバランスとしては歪になってしまいがちで、
どれだけ絶対的な能力があっても相対的には評価されず、
また供給過多になれば市場全体としての価値も下がるわけで、
やはり一部の人にだけその「強さ」があることで、
需要と供給のバランスがしっかりと保たれ、
そして相対的に評価され、十分な対価をもらったりできるわけです。

若干話がそれましたが、やはり一つの道をずっと歩んでいるものとしては、
強くありたい、ただただそう思うことが多いです。

最近、「プロとして」という話をする機会が多いですが、
この「強さ」というのはプロとして備えておくべきものと思います。
もちろん、プロなら全員が全員強くなければならないわけではないです。
ただ、プロとして長く現役として活動していきたいのであれば、
何かしらの形で、何かしらの分野で、それが例えニッチな領域だったとしても、
「強い」と思わせる何かが必要だと思っています。

ではその「強さ」を感じさせるためにはどうしたら良いかですが、
それはまさに私も教えて欲しい、とても難しい問いなのかと思います。
ただ一つ言えることは、自分で自分を高めるために目標を設定し、
その目標を達成するために日々の行動を決め、
そしてそれをしっかりと実行するために自分を律すること。
これさえ出来れば、あとは時間が解決してくれるもののように思います。

即レスは基本

即レスは基本。
これは仕事でもプライベートでも同様ではないでしょうか。

即レスすると暇人に思われる、
そんな風に考える人もいるかもしれませんが、
レスを待ってる側からするとそんなことを思うことはなく、
むしろ「早くレスくれて助かる、嬉しい」くらいに思っているはずです。

もちろん、何か仕事とかに集中していると、
ついついメッセージが来ていることさえ気付かず、
即レスどころか数時間後、
場合によって翌日とかに返事をしちゃったりしますが、
そんなことをしていては即レスとは真逆の状況になってしまいますよね。

かくいう私も、基本的には即レスをモットーとしていますが、
作業に集中している時などは、

「うーん、メッセージ来てるけど、あとで返信すれば良いか」

などと重要視せずにいてしまうこともあります。
結果的に、イマイチなことになると分かっていても、です。

メッセージを送ること、つまり連絡をするときは、
送る側からすると「今が一番」なのですよね。
しかし、受ける側からすると「今かぁ」となりがちです。
この時に、受ける側の視点だけではなく、
送る側の視点にもしっかりと思いを馳せて、

「今返事するとちょっと集中切れちゃうけど、今が大事だよなぁ」

という風になれると、即レスをするという行為に辿り着けるわけです。

即レスをすることで、ものごとがサクサク進んでいきます。
結果的に、自分に関わる物事が早く自分に到達してくるわけで、
実は自分も得をしていると言い換えることもできます。
これに気づくことができると、即レスが習慣化するまであと少しでしょう。