ソフトウェアエンジニアのキャリアなどについてダラダラと

本業ソフトウェアエンジニア、副業なんでも屋、自分の価値を最大化して社会に還元するために必要なことを模索する毎日です。

画面の向こうにも人間がいる

Twitter などの SNS で誹謗中傷があるとよく出てくる言葉ですが、
まさに言葉の通り、画面の向こうにも自分と同じように人間がいます。
そしてこれは、別に誹謗中傷が起こりやすい(?)SNS に限った話ではなく、
その他のチャットツールなどでも同様なのかと思います。

オフラインで対面して話せば分かるようなことでも、
オンラインで文字だけでやりとりしていては、
分かりにくいことも多々あると思います。
特に感情が絡まる部分などは、オンラインの文字だけでは
だいぶ限界があるのではないでしょうか。

もちろん、オフラインで会ったからって全て理解できるわけではありません。
ただ、オフラインよりも削られる情報が多い以上、
本当はその文脈、行間を読み取って適切な判断を下さないといけないわけですが、
文字だけを見ているとそこに「人間」を感じなくなり、
ついつい無礼な態度を取ってしまったりします。

また、仕事の場面だと特にあるのが、顔文字や絵文字を使うと失礼だからと、
無骨な文字だけの文章を書くことで、逆に無礼になったりすることもあります。
もちろん、受け手によって変えるべき表現方法だとは思います。
つまり、何が適切かというのは相手によって変わる、ということです。

オンラインのみでの出会い、繋がりというのは、
どうしても軽薄になりがちだと思います。
連絡することをやめてしまえばもう関係を断ち切ることができるので、
当たり前と言えば当たり前ですよね。(仕事などでは別ですが)
少しでも嫌なことがあれば見ないことで問題が解消される。

しかし、繰り返しになりますが、その関係を断ち切った相手も人間で、
自分と同じように日々を生きているわけです。
そう考えると、どのように接するべきだったのか、
反省すべき点がいくつも出てくるのではないでしょうか。

少しずつ身軽に

最近、身の回りの物を整理しています。
不要なものは捨てたり、
資源回収に出したり、
リサイクルショップに売ったりなどしています。

よくよく考えると当たり前の行動ではありますが、
こういう物を処分する行為というのは、
なかなか重い腰が上がらずに行動を起こせないという人は、
私以外にも多いのではないでしょうか。

よく年末には大掃除などやったりしますが、
冷静に考えると別に年末じゃなくてもしっかり掃除して良いわけです。
でも、大掃除というイベントがあるから、
普段は適当でも良いや、などという考えが
働いたりしているのかなと思います。

大掃除をやめて、普段から小掃除をしておけば、
そっちの方がずっと重い腰がどうのこうのと言う暇もなく、
サクサクっといろんなものを処分できて、
結果的に効率的に作業を行えるような気がします。

また、物を処分してスッキリすると、
自然と心もスッキリしてきます。
これは結局のところ、不要なものが家などにあると、
それが潜在意識の中で自身のマインドシェアを奪い、

「いつか捨てよう」
「いつか売ろう」

などということを無意識に考えてしまってるからだと思います。

そう、考えないようにしていたはずだけど、
そして実際に考えていなかったはずなのに、
実は水面下で、潜在意識の中では考えてしまっているわけです。

そういう、顕在だろうが潜在だろうが関係なく、
そもそも考えてしまう対象を処分することで、
身も心もスッキリできる、そういう話です。

なんだかんだで2021年ももうそろそろ年末。
結局のところ、大掃除みたいなタイミングで、
身の回りの物の処分を始めた中で思ったことでした。

冷静に自分の利益を追求する

冷静に自分の利益を追求するために、
自分の感情を押し殺してでも、
一手先の利益を得るように努める。
分かっちゃいるけど、実行するのは難しいですよね。

私も、結構感情的になってしまうタイプなので、
いくら一手先で利益が得られると分かっていても、
その瞬間に感情的に許せないことであれば、
例え一手先に利益があるとしてもその利益を捨てて、
その場で激しい戦いを繰り広げてしまいがちです汗

もちろん、人生100年時代とはいっても、
人間いつ死ぬか分からないという事実は変わらないわけで、
いっときの我慢をとって人生を後悔して終わる可能性もあるわけで、
何が最も適切な判断なのかは常に難しい問いになると思います。

しかし、多くの場合において、冷静になって自分の感情には一旦バイバイし、
まずはその先にある利益のみを考え、自分の思考、発言、行動を変えることができれば、
長期的に考えて、豊かな人生を歩むことができるのではないでしょうか。

とはいえ繰り返しになりますが、言うは易しのなんちゃらかんちゃらです。
冷静と情熱の間で、自分が後悔しない選択を取り続ける必要があるわけです。
人によっては、そういうのを容易くこなす人もいるわけで、
いやはや一体全体、どうやってそういう思考回路を獲得したのか、
是非とも教えて欲しいと思ってしまう情熱的な自分がいます。

飽きとの戦い

人生100年時代。

いろんなことに集中し、熱中し、学ぶことがある中で、
もちろん「飽き」のようなものと戦うこともあるでしょう。

かくいう私も多分に漏れず、さまざまな飽きと戦っています。

趣味で好きなゲームだったり音楽だったり、
いろんなものを極め研究していっていても、
あるタイミングで急に飽きがきて、

「あれ? 何でこんなハマってたんだっけか・・・」

などとなったりします。

これはもちろん仕事にも当てはまり、
若い頃はその飽きを感じたタイミングで転職を検討し、
またしばらくすると飽きることに飽き(?)、
やっぱ転職はやめとこう、などとなったりしていました。

この「飽きる」というのはなかなか扱いづらいもので、
こういう感覚があるからこそ得るもの、失わずに済むものもあれば、
そのせいで何か自分の「軸」のようなものを失った感覚があることもあれば、
飽きたおかげで新しい何かを見つけることができる場合もあります。

つまり、言い換えれば、プラスに作用することもあれば、
マイナスに作用することもある、ということでしょう。

私自身、これまでの人生で本当に多くの飽きを味わいました。
一度熱中するとものすごくのめり込んでしまう性格なので、
仕事であれば朝誰よりも早く出社し、
夜誰よりも遅く帰るなんて日々を過ごしたこともありました。
趣味の音楽でも、同じ曲を1日中聴いたり、
ゲームであれば丸一日やり続けるなんてことさえあります。

そしてまたどこかのタイミングで、
そういったものごとにも「飽き」がくるのです。

「戦い」と言いましたが、別に無理に争う必要もないでしょう。
そういった心情の変化を素直に見つめ、受け止め、受け入れ、
また自分の人生の新たな変化の糧にすることができれば、
「飽き」というものもまた、人生を彩る一つの要素に過ぎないのかもしれません。

どれだけひどい仕事をしていても、成立する仕事もある

タイトル通りですが、今の時代、
ちゃんと働かないとやっていけないかというと、
決してそんなことはないわけです。

まさに今日、タイトル通りの仕事を目にしてしまいましたが、
(目にしたというか、電話で対応したというか、表現は難しいですが・・・)
そんな仕事をしていたらお客さん失うよ、とこちらは思うレベルでも、
もう何十年もその仕事に携わっていたりすることが当たり前のようにあります。

これは、以前も少しテーマとして書いた、

「需要と供給のバランス」

にあるのかと思っています。

つまり、需要があるのに供給が少ない仕事であれば、
ひどい仕事をしていたとしても会社が潰れることはなく、
あまり儲けることはできないかもしれないければ、
長く働き続けることができたりするわけですね。

逆に、それなりに難しい仕事だったとしても、
供給過多になってしまっている仕事では、
その大変さに見合った対価を得ることができず、
なかなかにつらい思いをされてる方もいるのではないでしょうか。

残念なことに、いや残念ではないのかもしれませんが、
結局のところ世の中は需要と供給のバランスで成り立っています。
誰もなりたがらないような仕事でも雇用は必要であり、
誰もなりたがらないのであれば自然と価値は高まるわけです。

そう考えると、自分が生み出せる勝ちというのは、
世の中全体で考えると果たしてどの程度のものなのか。
しっかりと冷静に俯瞰して考えてみると、
もしかしたらなかなかに厳しい現実が待っているかもしれませんね。

決められたルールの中でいかに戦うか

仕事にせよ、何にせよ、
ほとんど全てのことにはルールがあります。
これはやっていいけど、これはやっちゃダメ。
そういうルールに従った上で、
自分が出せる最大限の力を発揮し、
最大限の価値を生み出すために努力をするわけです。

よく、仕事は定時内で働くのがルールで、
残業するのはルール違反だとか
そういう話をビジネス書とかで見かけますが、
私はそうは思いません。
残業するだけの時間的余裕、体力的余裕があるのであればすれば良いし、
出来ないのであればしなければ良いだけだと思います。

しかし、もちろん若者で時間も体力も有り余ってる人と戦って、
まともに勝てるわけがありません。
こちらは夜の12時には体力の限界を迎えるのに、
向こうは連日徹夜でもバリバリ働ける体力や時間があったりするのです。

なので、ルールはあってないようなもの。
もちろん、法律に反するような仕事や働き方はいけませんが、
法律の範囲内なのであれば、最大限の価値を出せるような手段を選ぶべきでしょう。

逆に、ルールの存在をしっかりと理解せずに、
いくら価値を生み出したところで正当に評価されることもないでしょう。
先程の例のように、ルールにないはずの「残業は悪」のようなものを
勝手にルールと勘違いして、その勝手なルールを守るように行動するのは、
勝手に間違った土俵を作ってそこで相撲を取るようなものです。

意味がないわけです。

まずはそもそものルールの存在を知ること。
そして、ルールを正しく理解すること。
最後に、その決められたルールの中で、
自分の価値を最大化する方法を考え抜き行動に繋げること。
大事にしていきたい考え方です。

今が旬かもしれない

職業人として、今がまさに旬かもしれない。
そんなことを思ったことがある方もいるのではないでしょうか。

人生100年時代、いわゆる

「現役」

として働く期間は延びていますが、
ずっと最前線で働き続けることは難しいでしょう。
どうしても、若い世代がドンドン出てきて、
自分は時間がかかるようなことでもささっと出来て、
圧倒的な力量の差を感じてしまったりするわけです。

職業人として「旬」というものがもしもあるとしたら、
それがまさに今なのではないかと思えば、
お客さんや同僚の前で謙虚にいる気持ちも持てるかもしれない、
ふとそんなことを思いました。

職業人としての旬が過去だったと言い切れる人は、
それはそれで謙虚になりそうではありますが、
私の旬はまさにここからだ! くらいに思っていると、
どうしても横柄な気持ちが芽生えがちな気がします。

「自分はこんなところにいるべき人間ではない」

そんな傲慢な考えが頭をよぎることもあるでしょう。

しかし、先ほども書いたように、
年々新しい世代がある種ライバルのようなポジションとして、
どんどん増えていっているわけです。
私のいる IT 業界、ソフトウェアエンジニアなどでは、
特にその影響は顕著だと思っています。
今時の若者であれば、様々なコンピュータを当たり前のように触っていて、
もはや別の人類なのではないかと思うくらい「当たり前」が違っていたりします。

そうなると、あえて勝ち負けで表現すれば、
圧倒的な「負け」になる機会が増えていきます。
もちろん、長年の経験を生かしたプレイをすることで、
そういった若者とも対等に渡り合える可能性はありますが、
それでも年齢を重ねるごとに厳しい部分も出てくるでしょうし、
もう旬ではない、その事実にしっかりと目を向ける必要も出てくるでしょう。

何が言いたいか分からなくなってきましたが、
職業人として、常に謙虚に生きていきたいものです。