ソフトウェアエンジニアのキャリアなどについてダラダラと

本業ソフトウェアエンジニア、副業なんでも屋、自分の価値を最大化して社会に還元するために必要なことを模索する毎日です。

好きなことして生きていけるなら何をするのか

先日、無事に(?)36歳の誕生日を迎えました。
2021年は激動の年だったと思っていますが(まだあと3ヶ月ありますが)、
ちょうど良い節目なので改めて人生について考えていました。

好きなことして生きていけるなら、
いったい今の自分は何を選択するのだろうか。

これは仕事としてという意味もあるし、
一生分の収入が手に入ったとして、その後何を選ぶのか、
という意味もあります。

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今、私はありがたいことに、
ほとんど趣味のような(遊びのような)感覚で、
仕事に取り組めています。
もちろん、仕事の内容によっては
イマイチ気が乗らないようなものもありますが汗、
概ね、楽しく、パズルを解くような感覚で仕事をしています。

しかし、では今改めて、
収入面の不安が全くなくなったとしても、
今の仕事を続けていくのだろうか?

そう考えたときに、すぐに答えられるほど、
今の自分の気持ちは固まっていないなと思いました。
一昔前(20代の頃)であれば、おそらく何の迷いもなく「イエス」と
答えていたであろうこの問いに対して、
迷いが生じてきてしまっているのです。

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一昔前は、とにかく目の前の問題を解くのが楽しかった。
解けば解くほど成長を実感できるのが楽しかった。
(そしてそれが評価されて、給料が上がるのが嬉しかった。)
成長に繋がるのであればとゲームなどの娯楽もやめていた。
とにかく、目の前の問題、仕事、勉強に打ち込んでいた。

しかし気付けば30代も半ば。
とにかく目の前の課題をこなしていったからって、
何か大きな変化が生まれることもなくなってきました。
解けば解くほど成長を実感できるわけでもなく、
気付けばやめていたゲームも再開。(成長との因果関係はないですが)
マンガや映画なども色々見るようになり、
ふむふむ楽しい世界もあるものだな、と今更ながら気付いたことも多いです。

そして冒頭の問いにたどり着いたのです。

これは、おそらく一朝一夕に答えを出せるようなものではないと思っています。
しかし、日々自分に問いかけ続けないと、道が見えてこない問題のようにも思います。

2021年、残りの3ヶ月はこれと向き合っていこう。

楽しさ(本気度)を否定されることの恐怖

私の属する IT 業界では、
いや、この業界に限らない話とも思えますが、
自分の楽しさ、楽しんでる姿を否定されることを
恐れている人が多いと思います。

「否定」というのは少し強すぎる表現かもしれませんが、
「無視」「冷静に対応される」と置き換えると、
より身近なものとして捉えてもらえるかもしれません。

例えば、自分の中では新しいコードの書き方を思いついた、
新しいプログラミング言語を勉強して面白いと思った、
などといったときに、

「○○って面白いね!!」

などと感情豊かに表現する人はあまりいない印象です。

「○○が人気の理由は分からなくもないな」

などのように、あたかも他人ごとのように、
感情を押し殺して、興味がそこまでないような表現をします。

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ちなみにこれは、楽しいことだけではなく、
何か分からないことがあるなどといったときも同様です。

「○○が分かりません! 教えてください!」

と素直にいうことができないのです。

「○○かー。だるい。」

などのように、何か斜に構えた、
私の人生には大事じゃないけど仕方なくやってやるかー、
仕事って面倒だなーチラチラ、のような空気を醸し出すのです。

これは、素直に分からないと宣言すると、

「分からないなら調べたら良いのでは」
「エンジニアなのに○○も知らないの?」

などとコメントされるのが怖いので、
あえて斜に構えてそういうコメントを受け流せるようにしてるわけです。

(とはいえ、正確にいうと、受け流せてもおらず、
一人でそのショックを受けて、凹んでいたりするわけですが。)

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自分が感情を表に出したとき、
その感情が誰にも受け止めてもらえないと、
何か心にポッカリ穴が空いたような感覚になると思います。

その感情が「怒り」だった場合、
なんならスルーしてもらったほうが良い結果になることもあるでしょう。

でも、その感情が「楽しさ」だった場合、
それを誰も受け止めてくれないと、
その「楽しさ」の分だけ「つらさ」のようなものが返ってくるのです。

ただ、だからといって自分本来の感情を全て押し殺して、
機械になったかのように発言していては、
それは結局自分が求めている世界にならないわけです。

多少怖くても、自分が求める世界になるように、
自分の感情をしっかりと表現し続けること。
いつかそれを受け止めてくれる人が来るかもしれないし、
もしかしたら一生来ないかもしれない。

でも、自分のそういう日々の判断、行動に後悔しない状態を作っていれば、
きっと自分の人生はもっと晴れやかなものになるのではないでしょうか。

改めて、自分が何を求めているのか

何かを失うと、その失った部分を埋めようと、
また新しい何かを得ようとする人は多いのではないでしょうか?
私はまさにそのタイプなのですが、
ここ最近もこの問題に直面しています。

基本的には、失ったものと同等のものが欲しくなります。
それがお金を出せば買えるような
単純なものであれば買っておしまいですが、
そうでない場合、なかなか厳しい状況になります。

例えば時間をかけないと手に入れることができない場合。
少なくともその必要な時間が経過するまでは手に入らないわけで、
それが実際に手に入る瞬間までは、モヤモヤした気持ちになるわけです。

もちろん、例えば1ヶ月待てば手に入りますよ、みたいなものであれば、
そのモヤモヤもそこまで大きくはならず、平穏に過ごすことはできそうです。
しかし、その期間が定かではない場合、

「今日こそくるか・・・?」

という思いを毎日少しずつ重ねることになり、
それが精神的な負担となり、またモヤモヤした日々を過ごすことになります。

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しかし改めて考えてみると、その失ったものは本当に必要だったのか?
という根本的な問いが生まれてきます。

失うことを極端に恐れる人は多いと思います。
例えそのものが別に必要でなかったとしても、
そのものがなくなってしまうと、なぜか嫌な気持ちになるわけです。
そのものから価値を感じていなかったとしても、
失ってしまうことを恐れるわけです。冷静に考えると不思議ですよね。

そもそも持っていなかったとして、新たに手に入れたいかと聞かれると NO なのに、
すでに持っていたという理由だけで、再び手に入れたいと思ってしまう。

感情の問題なので、そう簡単に片付けることができない話とは思いますが、
本当に必要なのか? という問いを自分に投げかけ続けることで、
再び手に入れようと努力する以外の道を見つけることも、出来るのかもしれませんね。

日々目標を立てることの重要性

日々目標を立てること。
これが重要なのではないかとふと思いました。

ここでいう日々の目標とは、
文字通りその日1日の目標です。
仕事で言えば、1日で終わる単位のタスクです。
それをしっかりと終わらせて、1日を気持ちよく終える。

更に、次の日に何をやるかが定まっている。
そうすると、次の日を気持ちよくスタートできると思います。
(仕事の例えはイマイチだった気もしますが・・・。)

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ここ最近、ワクチン接種の副反応で怠かったり、
急にスマホが故障したりしていて、
落ち着いて目標を設定したり、
日々の活動を振り返ったりする時間を取れずにいました。

そうすると何が起きたかというと、

「日々をただ消化している」

感覚が非常に強くなりました。
更にいうと、明確で魅力的な目標を持てていないので、
1日の終わりがダラーっと訪れ、
1日の始まりも同様にダラーっとしていました。

明確な目標が定まっていることがこれほど重要なのか、
と痛感する日々になりました。

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少し前までは、Asana に週間目標、月間目標、四半期目標を書いておき、
それを週に一度カフェで見直し、修正していました。
目先のイベントから少し先のイベントまでを見据えることができるので、
刺激が多過ぎず少なすぎず、プレッシャーが程よい量で、
日々を刺激的に過ごすことができていた気がします。

ただ、前述した通り習慣が崩れるイベントがいくつかあり、
気付くと怠惰な生活に戻りそうになっている、危険な状態です。

一度ダラけ癖がつくと、しばらくこべりつきます。
そして、その癖を取り除くには、
癖をつけた時以上に強い変化が必要で、
そんな強い変化は簡単に起こせないため、
なかなか良い方向に進んでいかないわけですね。

こういう時は、一人で解決させようとするのではなく、
なるべく周囲の人を巻き込み、環境の力で解決するに限ると思っています。
自分がやろうとしていることを宣言し、
衆人環視の力を利用して、自分を律するわけです。

明日から10月。
今年も残り3ヶ月。
改めて、気を引き締めていきます。

選ばなかった選択肢をいつまで悔やむのか

選ばなかった、もしくは選べなかった選択肢。
長い人生、数え切れないほどのものがあると思います。

しかし、選ばなかったにせよ、選べなかったにせよ、
いずれにせよ過去のものであり、今更どうにもできません。
悔やむことはできますし、妄想の世界で時間を潰すこともできますが、
現実世界には何一つ良い変化はないように思います。

そうであれば、そういう過去に囚われるのではなく、
将来のために、将来必ずやってくるであろう「難しい選択」に向けて、
今できることを少しずつ、堅実に、取り組んでいくしかないと思います。

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もちろん、いうは易し。
意味のないことだと分かっていても、
時間を浪費するだけのことだと分かっていても、
過去の選択に悩み、苦しみ、後悔して時間を潰すことはあります。

あの時ああすれば良かった。
過去に戻れるなら戻りたい。
そんなことを考えてしまうこともあるのではないでしょうか。
(私はほとんどないですが・・・。)

ただ、そうやって過去を振り返るのは、
もちろん悪いことだけではありません。

仕事にせよ何にせよ、過去の行動や結果を改めて見つめ直して、
今後どうするかを考える「振り返り」は必要な行動です。
なので、何でもかんでも過去のことはすぐに忘れる、というのも、
あまり良い行動とはいえないわけですね。

しかし、繰り返しになりますが、
ちょっとでも気を抜くとただの「後悔」になり、
今の貴重な時間を浪費するだけの行動になりかねないので、
バランスよく「振り返り」を行う必要があります。

また、

「選べなかった」

のではなく

「(前向きに)選ばなかった」

という風に解釈を変えて、
自分の中で決着をつけて、
今後の糧にする考え方も重要かと思います。

常に前だけを向き続けるのでもなく、
過去ばかり見て時間を浪費するでもなく、
適切なバランスを保ちながら、今を生きましょう。

過度の合理化により失われるもの

先日、日本の大企業で
「リモートワークを主とする」
というニュースを見かけました。
とても良い傾向だとは思いつつも、
何か引っかかるものも感じました。

私自身、ここ数年、コロナ禍になる前から、
フルリモートワークで働いています。
なので、リモートワーク自体にはとても賛成なのですが、
その中で色々と複雑な経験もしてきたので、
手放しに喜ぶわけにもいかない、という立ち位置です。

リモートワークは合理化の象徴だと思っています。
PC を使い続けるような仕事であれば、
わざわざ混んでる電車に乗ってオフィスに行く必要はないし、
何ならチャットツールを使えば同期的に仕事をする必要もないし、
非同期で家やカフェからのんびり仕事をすれば良いのです。
(のんびりできるかは仕事によりそうですが。)

ただ、その合理化によって「失われるもの」もたくさんあると思っています。

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例えば「通勤」でいえば、人によっては「痛勤」というほど嫌われるものですが、
実際になくなってみると、気持ちの切り替えがうまくいかなくなったりします。

朝起きて、家にいる。
すぐにでも仕事を始めることができてしまう。
そして、夕方になって仕事を終えても終えなくても家にいる。
いつ仕事を再開しても構わない。

そうなると、なかなか気持ちの切り替えができなかったりします。
もちろん、そうならないように朝と夕方に外に出て歩いたり、
気持ちを切り替えるために色んな活動をしてる人もいると思いますが、
逆にいえば意識的に行動をしないとすぐに怠さの沼にハマってしまうわけです。
通勤があった頃は、意識する必要もなかったことですね。

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他にも、同僚などとの一体感、一緒に働いている空気感などは、やはり実感しにくいです。
リモートワークを支えるためのツールはたくさんありますし、
うまく利用すればだいぶ改善はするものの、
実際に肩を並べて仕事をしているときに味わえる経験とはどうしても隔たりがあります。

もちろん、同僚のタイピング音がうるさいとか、
息が臭いとか、貧乏ゆすりが気になるとか、
そういう問題からは解放されるので、良いことも多いです。

ただ、それと同時に、

「何か」が失われている

という感覚をしっかりと持つことも大事だと思っています。

目先の合理化だけに囚われていると、
本質的に大事なものを失ってしまうかもしれませんね。

習慣の書き換えとはアンラーニングなのか

習慣を変えるのに必要なのは何なのか。

明確で強烈な目標を設定することで
感情を理性で押さえ込むなど、
色々な手法はあると思いますが、
ふと「アンラーニング」することの重要性を意識しました。

アンラーニングとは、文字通り「忘れる」ことです。
時代の変化や環境の変化によって、
過去に学んだことが適切でなくなってきたとき、
それまでに学んだことを一度忘れて、
また改めて学び直すのに必要な第一歩です。

もちろん、このアンラーニングは簡単ではありません。
少なくとも私は、学校でこれについて学んだ記憶はないですし、
社会人になってからもそんなに出くわしたことがない概念です。

本を読んだりすればたまに触れられてる単語ではありますが、
具体的なやり方にしっかりと言及し、
実現可能な状態なものを読んで記憶はありません。

しかし、何か変えたい習慣などがある際、
まず必要になるのがこのアンラーニングなのでは、と思ったわけです。

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もちろん、何でもかんでもアンラーニングができるわけではないです。
良い呼吸法を学ぶために一度呼吸する方法を忘れることができないように、
どうしても今の形を最低限維持したまま、
形を少しずつ変える必要がある習慣もあるでしょう。

しかし、多くの習慣は一度忘れることさえできれば、
そこから「正しい」型を学び、良い習慣を作る礎にできるのではないかと思います。

ただ、繰り返しになりますが、
アンラーニングの効率的、効果的な手法はよく分かっていません。
そもそも、ドラクエよろしくな「わすれる」ができるのかは不明です。

強いていえば、「価値観」が大きく揺るがされるような何かが起きることで、
そこに付随する色々な思考、言葉、行動などに変化が起き、
結果として習慣が変化する、書き換わるという状態を得ることができる。

そんな風に捉えることができるかもしれませんね。