ソフトウェアエンジニアのキャリアなどについてダラダラと

本業ソフトウェアエンジニア、副業なんでも屋、自分の価値を最大化して社会に還元するために必要なことを模索する毎日です。

習慣にするのは難しい

習慣にするのは難しい。

冷静に考えると当たり前のことですが、
自分が習慣にしたいことが
全然習慣になっていかないのを感じると、
本当に大変だなぁと思うわけです。

これは特に、意識せずに行うものごとほど難しいと思います。
逆の例でいうと、歯磨きをするとか、掃除をするとか、
そういうレベルであればちょっと意識した時に行動できます。

でも、

「呼吸を深くする」
「良い声で話す」
「第一声は明るく」

みたいな内容の場合、とにかく難しいです。
特に返事など反射的に行うものは、
つい忘れて普段通りになってしまいます。

そして、「あぁ・・・自分はダメだな・・・」などと思ったりします。

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よく、習慣化するには三週間続けろとか、
メモ帳の1ページ目に忘れないように書いておくとか、
色んな対応方法が世の中にはありますが、
そういうことさえも、言ってしまえば

「習慣化」

できていなければ忘れてしまうわけです。

メモ帳の表紙に書いておいたとしても、
メモ帳自体を手元に置かなければ見ないわけですし、
スマホの待ち受けにしたとしても、
毎日同じものを見てたら意識しなくなるわけです。

だからと言って毎日違うものに自動で変わってたら、
確かに意識はするようになるかもしれないけど、
習慣化するという目的達成には繋がらなそうです。
こう考えると、習慣化するのは本当に難しいですね。

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強いていえば、大事なのはやはり

「強力な目標設定」

なのかもしれません。
もちろん、目標を設定したら必ず実現できるわけではないですが、
少なくとも強力な目標がない状態と比べれば継続できる可能性は上がるはずです。

その目標が強く明確であればあるほど、
習慣化するための「潜在的な何か」に強く働きかけ、
普段の思考、言葉、行動が変わってくるのではと思っています。

結局、求められると嬉しくなる

そのまんまのタイトルです。

私が属する IT 業界、
とりわけソフトウェアエンジニア界隈では、
自分が楽しいからやっている、
他人からの評価なんて気にしない、
みたいなタイプの方も多いと思っています。

かくいう私も、そんな感じに思う時もあります。
ただただ、目の前のパズルを解く感覚で、
いろんなシステムを考えたり、
作り上げていくのが楽しいという状態ですね。

そういうモードに入っている時は、
別に他人がどう思っていようが、
どのように評価されようが気にしない、
というある種の無敵モードになっています。

ただ、ずーっとそういう状態かというと、
もちろんそんなことはありません。
仕事、仕事以外のいろんな状況によって、
自分の気持ちにも多少の上下はあり、
特に下がっている時は、やはり他人からの目は気になります。

そして、そんな厳しい状況の中で、
他人からいい評価をもらえると、
自己肯定感のようなものが高まり、
ある種の安定感、安心感を得ることができ、
平たくいえば「嬉しい」わけです。

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もちろん、そういう他人からの評価に
依存しすぎるのはよくないです。
他人からの評価がないと何もできなくなってしまうからです。

よく、モチベーション管理の文脈で、
内発的動機付け、外発的動機付けという言葉を聞きます。
自分の中から湧き出るものによって駆動するのか、
他人からの評価、賞罰によって駆動するのかですね。
そして、他人からの評価に依存するのは脆い、という話です。

ただ、これはあくまで

「依存しすぎる」

のが良くないという話で、
多少意識するのは良いと思っています。
結局、バランスなわけです。

そして、その外発的なものは、
内発的なものより刺激的なものが多く、
状況によっては内発的なものを待つよりも、
効果的に自分の思考、行動を変えてくれる可能性があります。

結局、求められると嬉しくなる。

そんな当たり前のことに改めて気付きました。

血の繋がりとはつまり何なのか

血の繋がりがある家族は、
それ以外の人間関係と比べると、
切っても切り離せない、
とても特別なものだと思います。

もちろん、血の繋がりのない家族も、
夫婦に代表されるように、
切っても切り離せない、
とても重要なものだと思います。

さて、そうなると血の繋がりとはつまり何なのか、
という謎が少し浮かび上がってきます。

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血の繋がりのある関係で最もイメージしやすいのは、
「親子」とりわけ「自分の子ども」かと思います。
目に入れても痛くないという言葉もある通り、
自分の子どもや孫は、可愛くて仕方がないわけです。

この可愛さの源泉は、おそらく

「自分にどれだけ似ているか」

というところにあるのかと思っています。

血が繋がっているので、自然と似てくる部分があります。
場合によっては、自分にそっくりになったりするわけです。
そうなると、(自己肯定感が異常に低い方などを除けば、)
自分と同じように大事に思えてしまうわけですよね。

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それでは、血が繋がっていない子ども、
例えば養子などはどうなるんでしょうか。
親子ではあっても、血の繋がりはないわけです。

もしかしたら、自分に似てる部分が全くない、
共通点を全く感じない子かもしれないです。
その時、血の繋がりのある子どもと同じくらい愛せるのか。
考えて分かることではないと思いますが、
なかなかに難しい、超えるべき大きな壁があるように思えます。

それほどまでに、「血の繋がり」というのは、
強烈な、切っても切れない深い関係性を作り上げるのかと思います。
もちろん、それが故に、大きなわだかまりが生まれ、
悲しい事件が起きたりすることもあるわけですが・・・。

このテーマは、人生をかけて考えていく、大きなテーマになると思っています。

価値観の相違とは

価値観が異なることが原因で、
人間関係が失われてしまうことは
よくあることだと思います。

自分にとっては当然のことでも、
相手にとっては異常事態だったり。
そのまた逆も然り。

育ってきた環境が違うから、
常識や偏見も人によって違って、
それを「価値観」という一言でまとめて、
合う合わないで人間関係を決めるわけです。

もちろん、わざわざ価値観の合わない人と
一緒にいる必要もないでしょう。
人生は余計なことをするほど長くはないので、
自分にとって大事だと思う価値観を共にできる人と、
長い時間を一緒に過ごした方が良いと思います。

ただ、その価値観というのも、
日々を過ごしていく中で徐々にではあるものの変化し、
また、身近な人の死や自分自身の大病などをキッカケに、
大きく変化するというのもまたよく聞く話です。

つまり、価値観というのは、自分自身の根幹を成す、
とても芯のあるブレない何かという捉え方もできる一方で、
何か大きな影響を受けると大きく変化してしまう可能性も秘めている、
とても脆い何か、と捉えることもできるのではないでしょうか。

そう考えた時、自分の価値観に囚われて、
他人の思考や言動、行動を認めることが出来ないというのは
少しもったいないことのように思えます。

もちろん、先述した通り、人生はそこまで長くないので、
無理して違う価値観と向き合う必要もないかもしれません。

ただ、何事もバランスだとは思いますが、
自分と違う価値観を上手に受け止め、受け入れ、
自分を成長させる一つのキッカケにすることができれば、
そういった「違い」というのも、何か良いことのように思えてきます。

好きにやっていいよ、ではなく、好きになりそうなことをやらせてあげる

長ったらしいタイトルですが・・・汗

良いマネージャーとは何なのかと考えたとき、

「君のやりたいことは何? 好きなことをやろう」

という人ではなく、

「君はこういうのをやると好きになると思う、伸びると思う」

と言える人なのかなと、ふと思いました。

前者のような発言はよく聞きます。
何とかハラスメントみたいな言葉が
山のように飛び交う現代なので、

「良くも悪くも部下のやりたいようにやらせよう」
「やりたいようにやらせたのだから、
その結果ダメになっても自分は悪くない」

そういう風に考えてしまう上司や経営層がいるのは
残念ながら当たり前の結果かと思います。

では、そういう上司のもとにつく部下は
「良い環境」にいるかと言われると、
間違いなく良い環境ではないでしょう。
あえて言うなら、

「どうでも良い環境」

と言えるでしょう。

上司は、部下の今後に興味がないから、好きにやって良いよと言う訳です。

もちろん、部下にとってプラスになる、
今知らないけど得意なはずだというものを見抜き、
それをやる気になるように提案する必要があるわけで、
そんな簡単にできるようなことではありません。

しかし、反対に、「好きにやって良いよ」と言うのは、
簡単にできすぎる、何もしていないに等しい行為なわけです。

組織としての長期的な成長を考えるのであれば、
そんな何もしていないに等しい環境というのは良くないですよね。
組織として成長するために、多少の痛みを伴っても、
多少の苦労はあっても、プラスになるような働きかけが大事になると思います。

適切なタイミングとは

何かものごとを行うときに、
それはいつやるべきなのか、
今日なのか明日なのか、
来月なのか来年なのか、
悩むことはないでしょうか。

「いつやるの? 今でしょ」

という言葉がありますが、
確かに大体のことは「今」やるのがベストなんですが、
ものによっては「今」だと早い、早過ぎることがあります。

もちろん、その早過ぎるものごとをしっかりと分析して、
タスク分解して、今やることを定めて、
そしてそれを今実行するというのが正しい選択肢です。

ただ、そんな簡単に見つけることも出来ないですし、
焦っている気持ちがあると、タスク分解もそこそこに、
無理に今実行して失敗したりします。

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タスク分解をした結果、今特にやることがなかった場合、
その大きなタスクを実行するタイミングを実質「待つ」ことになります。

では、その実行の適切なタイミングはいつなのか?
と言う最初の問いに戻ってくるわけです。

よくある話では「転職」。
最初に入社した会社で3年以内に辞めようとすると、
「3年くらいは続けなよ、見えてくるものがあるよ」
などというアドバイスを頂いたりするわけです。

他にも「結婚」などもありますね。
男性の場合、20代後半くらいからでしょうか?
じわじわと周囲が結婚をしだして、
自分も結婚を意識することがありました。

ただ、これらはあくまで

「なぜかそう言われているだけ」

の数字だと思っています。
別に3年経つ前に辞めても良いし、
30年働きあげても良いわけです。

結婚が可能な年齢になってすぐにしても良いし、
一生しなくても良いわけです。

「適切な」タイミングなんてない、そう思います。
強いて言えば、それが「今」なのかもしれません。

どんなタイミングで実行しても文句を言ってくる人はいます。
勘違いした人から責められることもあるかもしれません。
だからと言って、そういったいわれのない発言を恐れて、
実行するタイミングを延ばし延ばしにするのは
もったいないことですよね。

結局、「今」が最も適切なタイミングなのかもしれませんね。

文句を言うだけの人にはなりたくない

文句を言うだけの人にはなりたくない。

そう強く思う出来事がありました。

もちろん、私もできた人間ではありませんので、
ついつい口だけ、文句だけ言ってしまうこともあります。
ただ、そういう時って、その後必ず強く後悔をします。

感情に任せて文句を言ったところで、
何も事態は良くならないですし、
相手との関係性も悪くなる一方。

文句を言うのではなく改善案を提示する。

感情に任せるのではなく、感情を理性で導いてあげる。

ついつい、カッとなってしまうことはありますが、
そう言う時ほど落ち着いて深呼吸をして、
一瞬の満足を取るのではなく、
長期的な満足を取れるように、
適切な選択をする必要があるのです。

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基本的に、文句を言いたくなる時というのは、

「自分の思っている前提」と「相手の思っている前提」が異なる

がゆえに、

「自分の期待する結果」と「相手の生み出した結果」が異なる

ことから生まれているような気がします。
つまり、どちらも間違っていないわけです。
言い方を変えると、どちらも正しくて、どちらも間違っている。

どちらか片方だけが正しいのであれば謝れば済む話なのかもしれませんが、
基本的にそういうシンプルな問題はそこまで大きな話にならないはずです。

ついカッとなって文句を言ってしまう状況というのは、
お互いに「正しさ」がある時なのかと思います。

であれば、であるからこそ、
やはり一度深呼吸をし、冷静になり、
お互いにとって納得感のある解決策を
導き出す必要があるのでしょう。

文句を言うだけでは解決しません。
より高い次元の、より満足感のある解決策を得るために、
誠心誠意、協力する必要があるのだと思います。