ソフトウェアエンジニアのキャリアなどについてダラダラと

本業ソフトウェアエンジニア、副業なんでも屋、自分の価値を最大化して社会に還元するために必要なことを模索する毎日です。

悩みは人それぞれ

どんな人でも、多かれ少なかれ悩みがあると思います。
本当に小さいものから、
考えてしまうと夜も眠れないものまで、
人にって内容や大小に差こそあれ、悩みは尽きないものです。

自分にとっては大したことでなくても、
他人にとっては大きな問題であることは多いし、
その逆もまた然り。

自分は他人の悩みに思いを馳せることができないのに、
他人には自分の悩みを理解して欲しいという、
浅はかな欲求が頭をかすめることがあったり、なかったり。

さらにここに仕事などの要因が加わると、
感情だけではなく理性的に、論理的に
判断、決断、行動をする必要が出てきて、
良い方向に進めるのがより一層難しくなってきます。

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悩みは人それぞれ。

これを頭では理解しているつもりでも、
実際に色んな場面で、悩みを起因とするトラブルに遭遇するたび、
自分の都合で考えてしまい、他人を傷つけることもあるでしょう。
もちろん、他人に傷つけられることもあります。

しかし、悩みというのは基本的に尽きないものです。
そう考えると、悩みを抱えている状態をむしろ

「普通」

と捉えることもできるのではないでしょうか。
なんなら、その状態が心地よいと考えることも・・・無理ではない気もします。

解決しなければならない、でも解決できない、
という風に考えるから苦しくなるのであって、
この悩みは私の友達、くらいに思うことができれば、
また何か違った解決策が見えてくるかもしれないし、
何も見えてこないかもしれない。

2回目ワクチン接種を終えて、若干ぼーっとする頭でダラダラと。

素直な気持ちを伝えよう(誤解してたら謝ろう)

素直な気持ちを伝える。

大事だとは分かっていても、
うまく実行できないものではないでしょうか。

特に仕事の現場で、
ちょっと気になることがあるな、
なんか納得いかないけど・・・、
というときに、その自分の気持ちを
素直に相手に伝えるのは難しい時が多いです。

しかし、素直に伝えることはとても重要なのです。

変に穿った見方をしたり、斜に構えたり、
「相手が○○してくれて当たり前!」のようにごう慢になったり、
そんなことはしてはいけないのです。

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しかし、長年同じ職場で働いていると、
どうしてもその辺の感覚が鈍り、

「私は長年働いてるんだから、みんな分かってくれて当たり前」

のような誤った思考に陥りがちです。
例え誤った発言をしたとしても、

「みんなが遠慮してくれて当たり前」

のような、手遅れな思考に陥っている人も少なくないです。
でも、ダメですよね、そんなんじゃ。

誤解していたことに気付いたなら謝らないといけませんし、
自分の気持ちに蓋をしたり着飾ったりせず、素直な気持ちを伝えるのが、
結局のところ一番近道になると思っています。

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歳を重ねると、叱ってくれる人がいなくなってきます。
よく、

「叱られているうちが華」

などと言ったりしますが、
この言葉、最近本当に身にしみて実感しています。

周囲に、自分の間違いを叱ってくれる人がいないのは、
とてもつらいことだと思います。
なぜなら、周囲の人が叱ってくれるからこそ、
例えその指摘が誤っていることがたまにあったとしても、
トータルで自分自身の成長につながるからです。

その、叱ってくれる周囲の人がいないということは、
自分を反省し、振り返り、成長させる機会を著しく失うことになるのです。

もし、自分の周りに自分を叱ってくれる人がいるのであれば、
その状況にしっかりと感謝をしましょう。

そして、素直な気持ちを伝えましょう。

最後に、誤解していたなら謝りましょう。

振り返り、反省せよ

「振り返り」

「反省」

ものごとを改善し、上達させるためには、
避けては通れないアクションです。

自分の思考、発言、行動をしっかりと振り返り、
反省し、次に生かすわけですね。

振り返りや反省をしないと、
自分のアクションが適切だったのかを
考える機会を得ることができず、
何も改善させることができません。

つまり、これらの行動をすることは、
社会人として自分の価値を高めたいのであれば、
避けては通れないわけです。

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人生は短いと思えば短いし、
長いと思えば長いわけですが、
そんな中でもやはり気持ちの波のようなものはあります。

特に深い理由はなくても、
同僚などにきつい態度で当たってしまうこともあるでしょう。
その行動自体はもちろん賞賛されるものではありませんが、
必要以上に咎められるものでもないと思っています。

大事なのは、その発言や行動をしっかりと振り返り、
反省し、次からに生かすというところかと思います。

これらをせずに、自分が正しいとばかり思い込み、
何も改善しないという人も、たまにいらっしゃいますが・・・。
そんな態度でいることは、正直その人にとって何もプラスになりません。
自分には価値があるとでも思い込んでるのかもしれませんが、
そういった態度を取り続ければ続けるほど、価値を下げているだけです。

過ちを犯すことはそこまで悪くないわけです。(ものによりますが・・・。)
最も問題なのは、過ちを過ちと認めない、その心なのです。

ミスは誰にでもあります。
失敗は成功の母でもあるわけですし、ミスすることを恐れてはいけません。
しかし、そのミスを認めないのは、やってはいけないのです。
自分の小さなプライドを守ってる場合ではないのです。

皆さんは、振り返り、反省することができていますか?

結局最後は人

2020年から2021年にかけて色々経験し、
仕事に対するイメージがガラッと変わりました。

より正確に言葉にすると、

「できる人」とはなんなのか
「面白い仕事」とはなんなのか

というのが、自分の中で定まってきたと言えるかもしれません。

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2020年を迎えるまでの私は、
多分に漏れず(?)、
キラキラしたエンジニアに憧れていました。
いや、エンジニアに限らず、
広くビジネスパーソンとでも言いましょうか。

英語ができるエンジニアはすごい!
MBA を持ってるトップは強い!
しかもハーバードビジネススクール!? すごいすごい!

みたいな感じです。
改めて見ると本当にアホな自分だったなと思うわけですが・・・(汗)。
でも、こういうスキル、経歴を持ってる人に、
憧れに似た思いを抱く人は多いのではないでしょうか?

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英語ができるエンジニア、に関していえば、
世界中には英語が母国語の人が山ほどいるわけで、
英語ができる == エンジニアとしてもできる、
な訳がないというのはちょっと考えれば分かるわけです。

MBA を持っているのがすごい、
ハーバードビジネススクールならなおすごい、
というのも、MBA はあくまで学位なわけで、
持ってる人が必ず事業を成功させられるわけではないです。
必ず成功させることができるなら、みんな持ってるでしょう(笑)。

確かに、英語はできないよりはできた方が良いでしょう。
MBA も持ってないよりは持ってる方が良いでしょう。

でも、それをできるようにするためには時間やお金がかかるわけで、
その時間やお金を別のことに使えば得られたはずの何かと天秤にかけた時、
それでも価値があるのか? というのをしっかりと考える必要があります。

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ここ最近、副業などでいろんな人たちと接していて思うのは、

「結局最後は人だなぁ」

ということです。

どれだけのスキルを持っていようが、
学歴がキラキラしていようが、
年収2000万円稼いでいようが、
その人自身から滲み出る

「人としての空気」

のようなものが魅力的でないと、
すぐに底がしれて、衰えていってしまうでしょう。

その「人として」を磨くためには、
とにかく毎日を真剣に生き、
正しい思考、発言、行動を繰り返し、
正しい習慣を作っていく。
そういう小さな積み重ねしかないと思います。

テクニックではないわけです。
だからこそ誤魔化しが効かない。

いつかふと気付いた時、
「人として」が磨かれていない人にならないよう、
常に意識するように心がけたいところです。

「居心地の良い関係」と「気をつかわない関係」は違う

よく、仲の良い人のことを

「居心地の良い関係」

や、

「気をつかわない関係」

などと言ったりすることがあるのですが、
ふと、これらは全く異なるのではないか、と気付きました。

もちろん、辞書などに書かれている意味は同じなのかもしれませんが、
少なくともこれらの言葉から感じるイメージにはだいぶ大きな差があります。

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具体的に何が違うかというと、
「気をつかわない関係」というのは、
言葉だけ見れば「無関心な関係」と同義になります。
気をつかわなくても良い、同じ空間にいても気にならない、
ということは、赤の他人であっても同じわけです。
(もちろん、同じ空間にいるだけで嫌な気分になる赤の他人もいますが汗)

対して、「居心地の良い関係」というのは、
自分が居心地が良いと感じるように何か行っているはずで、
それは大小にかかわらず「気遣い」をしているんだと思います。

「親しき仲にも礼儀あり」という言葉がありますが、
居心地の良い関係を作るためには、
まさにこの礼儀が必要になるんではないでしょうか。

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改めて自分の人生を振り返ってみると、
この2つの違いを明確に感じます。
気をつかわない関係としか思えない相手とは、
いつの間にか自然とフェードアウトしている気がします。

気をつかわないから一緒にいても楽ではありますが、
楽なだけであって、そこに何ら(お互いに)気遣いが生じていないので、
何か小さな事柄がきっかけで会わなくなったりするのです。

それは喧嘩したとかそういう大きな話ではなく、
ただなんとなく連絡をする機会を見失い、
気づけば半年、1年と経過し、
もはや存在自体が記憶から薄れている、そういう状態です。

居心地の良い関係の場合、その居心地の良さを維持するために、
お互いに気遣いが生じているはずなのです。
もちろん、この気遣いが大きすぎると疲れてしまうので、
結局そういう関係も長続きはしないわけですが。

なので、お互いが無理のない範囲の気遣いを生じさせることで

「居心地が良い」

と思える関係性の相手とは、長い付き合いができるのではないでしょうか。

信用できるか胡散臭いかの線引き

企業の採用ページや、
商品 LP などを見てると、

「これは信用しても良さそうな情報だなぁ」

と思うこともあれば、

「典型的に胡散臭いやつだな・・・」

などと思うこともあります。

これらの違いはどこから生まれるのか、
最近よく考える機会があるのですが、
なんとなく自分の中で答えが見えてきました。

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まず、売り込みしたい思いが溢れ出てるページは胡散臭く見えると思います。
その思いがページの端々から伝わってきて、書いてる情報全てが胡散臭くなるのです。

次に、売り込みしたい気持ちがそこまで出てないとしても、
「キレイな」情報だけを頑張って並べたページも、
特に気をひかれることがなく、なんか微妙だなという思いになります。

では、結局どういうページなら良いのか。

一言で言うと、そこに「熱」があるかということだと思います。
言葉に体温と体重を乗せる、とでも言い換えることができそうです。

キレイな言葉を頑張って並べる必要なんてないんです。
その情報に対して、思っていることを素直に熱を乗せて書けば良いのです。
とにかく、嘘偽りなく、純粋に自分が思っている、
その商品なりの良さを色々な観点から書くわけです。

そうすると、ここまで違いが出るのか、と思えるほど、
良いページが出来上がるという印象があります。

もちろん、熱を乗せたからといって、
信用できるページになるかは分かりません。
熱を乗せた結果、中身がすっからかんというのが透けて見えて、
逆に客足を遠ざけてしまうかもしれません。

熱を乗せるということは、
その人の本質が見えてしまう、
とも言えると思います。
つまり、その人の中身がしっかりと詰まっていないと、
熱を乗せても逆効果の可能性があるわけです。

言い換えると、中身がしっかりと詰まっている人であれば、
熱を乗せて書くことさえ出来れば、
かなり高い確率で素晴らしいページになると思います。

胡散臭さは1日で作ることができますが、
信用は1日では作れないわけですね。

当たり前といえば当たり前ですが、
1日1日の積み重ねを大事にして、
中身の詰まった、信用する価値のある人になれれば、
あとはそれを適切に表現できれば良いわけです。

簡単なようで難しい、難しいようで簡単。
とにかく、毎日を丁寧に生きることが大切だと考えています。

自己肯定感を高めるためには

先日、自己肯定感について書きました。

その後、

「自分はなぜ自己肯定感が高いのか」

というのを考えてみました。
もちろん、これが正解というのはないと思いますが、
自分なりにおさまりの良い答えが出たので、
少しまとめて文章にしておきたいと思います。

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自己肯定感を高める方法、
一言で言うと

「成功体験を積む」

ということだと考えています。
私はこの「成功体験」という言葉が
あまり好きではないのですが(汗)、
これ以上にフィットする言葉がなかったので、
あえてこの言葉を選びました。

もっと具体的な例で表すと、
落第点だったものごとに頑張って向き合い、
及第点にまで持っていった経験の多さ、
とも言えると思います。

私はこれまでの人生で、
下から数えた方が早い、
というものごとがとても多かったです。

勉強の成績、運動神経、イケメン度合い(涙)、など。

そんな中でも、少しずつではあるものの、
大人になるにつれて、頑張って向き合っていくにつれて、
下から数えるよりは上から数えた方が早い、
となるものごとも出て来ました。

そして、その数が増えれば増えるほど、
それはつまり「成功体験」として
自分の中に積まれていき、
それがそのまま自己肯定感を高くする、
そういう流れになっていると感じます。

つまり、最初が低かったがゆえに、
上がることである種の達成感を味わっているわけですね。

「あ、なんだ。自分、やればできるじゃん。」

これが例えば、最初からそれなりにものごとが出来てしまい、
常に及第点をとり、客観的に見れば

「失敗はしていない」

という状態を長く続け、
特に頑張る理由がない状態で人生を生きてしまうと、
成功体験を積む機会もなく、歳を重ねてしまいます。

本来は伸び盛りとも言える20代や30代前半を
成功体験を積むことに使わずに過ごしてしまうのです。
そして気付くと30代後半、40代になる。

落第点を及第点に上げる努力を特に重ねてこなかったので、
今急に目の前に落第点のものごとが現れても、

  • 対処する方法がわからない
  • 対処できる能力も持ち合わせていない
  • 成功体験が積めない
  • 自己肯定感が上がっていかない

そういう流れになってしまうんだと思っています。
そして、一度この負の循環に入ってしまうと、なかなか抜け出せない。
若干の手詰まり感を感じてしまうわけです。

とはいえ、じゃあもうどうしようもないのか、
というともちろんそんなことはなく、
いつからでも負の循環を抜け出し、
次の一歩を歩むことはできると思っています。

もちろん、20代の頃のようなアクティブさは期待できませんが、
今の自分ができる範囲でいろんなことにチャレンジできるはずです。

落第点を及第点にする。
「あ、なんだ。自分、やればできるじゃん。」という感覚を積み重ねる。

まずは目の前の、これまで避けてきたことに、
チャレンジするのはどうでしょうか。
苦手だと思っていたことを得意にしてみてはどうでしょうか。

自己肯定感というのは、そういった行動の積み重ねによって、
最終的には自分をありのまま信頼できるようになることだと思っています。