ソフトウェアエンジニアのキャリアなどについてダラダラと

本業ソフトウェアエンジニア、副業なんでも屋、自分の価値を最大化して社会に還元するために必要なことを模索する毎日です。

自分の実力を「1」以上にしておく重要性

よく、仕事やチームスポーツなどの文脈で、1 + 1 = 2 以上にすることが大事だ、などというものがあります。例えば二人でチームを組む場合、単純にお互いがやるべきことをやって 1 + 1 = 2 にするのではなく、二人が組み合わさることでシナジーが生まれ、2 以上の成果を出せるようにすることを指します。

しかし、私はこの 1 + 1 = 2 という考え方が当てはまらないシーンというのもよくあると考えています。似たような表現を使うと、1 x 1 = 1 とでもいいましょうか。もちろん、時間さえかければ成果を出せるような仕事であれば 1 + 1 = 2 の考えになるのですが、少し創造性が必要な仕事の場合、平凡な 1 がどれだけ集まっても 1 の成果しか出せないというのはよくある話です。私が今いる IT 業界のシステム開発プロジェクトにおいても、簡単なシステムであれば違いますが、それなりに複雑性が求められる場合、平凡な能力者が集まってもプロジェクトは一向に進みません。

そしてこの考えで重要になるのは、1 を下回る人がいると、その人に足を引っ張られる形になってしまうということです。分かりやすくいえば、人の2倍の成果を出せる 2 の人材がいたとして、足を引っ張るだけの 0.5 の人がいると、結果的に 1 の成果になってしまうのです。こう聞くと、何か身に覚えのある人も多いのではないでしょうか。

実際、チームを組んで仕事をしていると、たまに本当に 0.2 とか 0.3 くらいの人がチームに混ざることがあります。誤解のないように補足しますが、ただ単に仕事が遅い人は 1 と計算して大丈夫です。0.2 とか 0.3 という人は、自分で考えることを放棄し、手も動かさず、他人の作業時間を奪うようなこと(自分では考えることを放棄して質問しまくるなど)をする人のことです。最悪 0.1 の人が混ざると、チーム全体の成果が10分の1になってしまうわけです。

さて、散々他人事のように書いてきましたが、別に私自身が 1 以上であるという確証があるわけではありません。状況によっては、私も 1 を下回ることだってあるでしょう。自戒の念を込めて、こういう話を書いてみました。

欲望を素直に言葉にしてみる

何か欲しいものがある、実現したいことがある。そういうある種の「欲望」のようなものを口にすることを避ける人は多いような気がします。

子どもの頃は、自分の夢を話したり、欲しいおもちゃやお菓子を親におねだりしたり、そういった欲求に対して素直に従ってきた気がします。しかし、歳をとるにつれて、自分に不釣り合いなのではないかと思い出して、発言を差し控えたりする機会が増えていきます。

子どもの頃であろうと、何でも欲しい欲しいと言っていると「欲張るんじゃない」と怒られたり、自分が実現したいことを口にすると「お前にはそんなことできるわけない」と笑われ馬鹿にされることもあります。そういった経験をたくさん積んでいくと、自然と口にすることが悪いこと、避けるべきことのように思ってしまうのかもしれません。

もちろん、自分が置かれている環境によっては、そういう発言を軽々しくするのが適切ではないこともあるでしょう。しかし、何でもかんでも欲求を抑えていると、それはそれで体に悪いです。そして、多くの場合、自分が何を考えているかなんて他人は分からないので、なおさら自分が実現したいことは実現することはないのです。

会社の人間関係や家族などもそうですが、「本当は」自分はこうしたい、こうして欲しいと思っていることを他人と共有しないと、往々にして自分が期待していない方向に話が進みます。そして、勝手に裏切られた気持ちになるのです。自分の思いを伝えていないのに勝手に落胆するとは、本当に自分勝手なものです。

いい大人なのですから、改めて自分の思いに素直に従い、まずは素直に言葉にしてみるというのが、実は大事なのではないでしょうか。エスパーでもない限り心を読むことなど出来ないわけですから、最も簡単でシンプルな「発言」を通して、思いを共有していきたいものです。

常に誰かの先輩であり後輩である

私は今36歳ですが、昔に比べると人から何かを教えてもらう機会というのは減ってきている気がします。自分で学び、経験したことが増えてきて、自分一人でもそれなりに色々できるようになってくると、何かを教えてもらう機会は減ってしまいがちですよね。しかし、ゼロになることはないのです。常に、誰かの後輩であるという事実は変わらないので、その先輩から何かを教えてもらっているはずです。

これは別に職場に限った話ではありません。人生における、あらゆる場面で適用できる考え方です。例えば子どものことを考えても同じことが言えるでしょう。一人っ子の小さい子どもがいたとします。甘えん坊の男の子、女の子です。しかし、その子に弟や妹ができると、途端に立派なお兄ちゃん、お姉ちゃんになったりするのです。安い言葉になってしまいますが、自分にとっての「後輩」がそこに存在することで、自分の中の「先輩」がそうさせるのかもしれません。

「私なんてまだまだ何もできないので、何も教えられません」

そんなことを言う人を見かけることがありますが、これはだいぶもったいない考えだと思います。確かに自分よりもすごい「先輩」は常にどこかにいるのは間違いないのですが、それでも自分を目標としてくれている「後輩」もまたどこかにいるはずなのです。自分なんて何も取り柄がないから・・・と言っている人がいますが、でもその「何も取り柄がない状態で今までやってきた」わけです。であれば、今何も取り柄がないと悩んでいる人の励みになるはずです。目指したい大きな目標にさえなるのです。

自分の周りの狭い世界だけを見ると理解できない話かもしれませんが、少し視野を広くもって辺りを眺めると、そこら中に先輩と後輩がいることに気付くでしょう。そして、自分もその中の一人であることをしっかりと理解し、自分の役目を果たすことが長い人生の中では大事なことなのかと考えています。

常識という偏見にどう立ち向かうか

時代によって、色々な「常識」が生まれ、更新され、そして消えていっている気がします。私が子どもの頃なんかは、食事に関する話だと「1日30品目」というものがありました。たくさんの栄養をバランスよく摂取することを目的に考えられた標語のようなものだと思いますが、後々になってこの「30」という数字には何の根拠もないということが分かり、気付いた時には全く目にしなくなりました。

私がいる IT 業界では、他業種と比べると転職する人が多い印象があります。転職すればするほど年収が上がるという謎の仕組みがある(あった?)ためだと思いますが、結構みんなためらいなく転職を繰り返している気がします。しかしもちろん、同じ IT 業界といえども、1つの会社に勤め上げている人がいることも知っています。どっちが偉いとか、賢いとか、そんな安っぽい話をしたいわけではありません。

仕事をするという1つをとっても、人によって考えは様々です。とにかく机に座ってさえいれば仕事をしていると理解してる人もいれば、成果さえ出せば1日5分でも良いという人もいる。どっちも正しいのです。置かれている環境によって、適切な行動というのは変わるし、それは時代によっても変化をしていきます。常識と言われていたものでも、ただの偏見だったということなど、もはや日常茶飯事でしょう。

となると、いかにその「常識もどき」のものを解釈するかというのは、今の時代を生きる上で重要になってくると思います。常識だからと何も考えずに従うのではなく、その裏側をしっかりと読み解く。自分にとって必要なら受け入れ、必要でなければ切り捨てる。そうやって自分の中の「常識」を更新し続け、それを常に自分の軸として据えておくことができれば、他人の偏見の影響をそこまで受けずに済むのではないかと思っています。

リセット願望の危険性

人によって様々という前提は置いた上での話になりますが、30代中盤あたりから強い「リセット願望」のようなものを持つ人が多いという話を聞いたことがあります。

学生生活を終え仕事をし始め、20代は仕事で駆け抜けた。恋愛し、結婚し、子どもを持ち、家を買い・・・などなどのライフイベントを20代〜30代中盤に終えることで、人生で味わうであろう強烈なイベントのほとんどを経験したかのような気持ちになります。もちろん実際はそんなことはなく、人生これからという考えを持ち続けることが大事だとは思いますのが、実際に30代中盤になった私の感覚としては、ある種の「諦め」を持つことも理解できます。

そんな「諦め」の感覚を持っていると何が起きるかというと、今までの自分の人生をある種否定したくなるのです。

こんな人生で良かったのか?
こんな人間関係で良かったのか?
これまでの決断であっていたのか?

そして、全てリセットしてしまいたい気持ちに陥るわけです。もちろんリセットといったところで、ゲームと違ってリセットなんてできません。しかし、例えばスマホの連絡先を全て消すとか、仕事を辞めて旅に出るとか、「社会的な関係性を断ち切る」ことによって、ある種のリセット状態を作り上げることは可能といえば可能になります。

しかし、ゲームのリセットと違い、再びやり直した時に自分が望むような展開になるかはまた別問題です。そして往々にして、そのリセットしたものの中に大事なものがあり、リセットしたことで再び得ることが困難になって後悔することになります。人間関係などはその最たるもので、断ち切ることは簡単ですが、修復することはとても難しいのです。

結局のところ、隣の芝生はなんちゃらという話で、やり直したところで「他人と比較」ばかりしていては同じ末路を辿ることになります。リセットしたい気持ちになった時は、まずは自分が今何を持っているかをしっかりと見つめ、それを大事にしていきたいです。

タイミングを逃さないように

人生、色々な「ライフイベント」と呼べるものがありますが、どれもこれもタイミングが重要に思います。このタイミングだからこそ成立するようなイベントが多いということです。

分かりやすい例でいえば結婚などがあるでしょう。10代から真剣に考える人は多くないと思いますが、20代をなんとなくで過ごしていると、30代、40代になってから慌てることになる、というのはよく聞く話です。男性であれば30代でもなんとかなるかもしれませんが、女性の場合は20代を逃すとなかなか難しいという現実があるようです。さて、そうはいっても、いつかは結婚したいと考えていても、「今は自分が楽しいと思うことやるかなぁ」などと考えてしまい、タイミングを逃すということをやってしまいがちなのです。

結婚以外でも、仕事でも同様かと思います。同じ会社で働き続けるにしても、転職するにしても、何か変化を起こすタイミングというのが存在すると思っています。ただダラダラと続けているだけでは、やはり良い変化は起きません。むしろこの時代、変化しないというのは後退するのに等しいケースが多いと思っており、積極的に変化を起こしていく必要があるわけですが、その変化のタイミングを逃すと、イマイチな結果を迎えることになりがちです。

しかし残念なことに、そういうタイミングというのは、大体あとになってから分かることが多いです。「あぁ、あの時が最高のタイミングだったんだな・・・」ということです。もちろん、過去に戻ることはできませんので、その後悔を一生引きずる人もいるでしょう。ただ、どれだけ後悔しても、過去に戻ることはできないわけです。であれば、次のタイミングがいつなのかをしっかりと見定めで、次こそは逃さないように常に意識し続けることが重要になってきます。

そして、そのタイミングは、往々にして「今」であることが多いと感じます。

30代として、自分が置かれている状況を正しく理解する

30代として、自分が置かれている状況を正しく理解することの重要性をふと思うことがあります。

私は社会人として働き出してから15年ほど経ちますが、やはり年を重ねれば重ねるほど、周囲からの信頼感が増していったり、それにあわせて評価や収入が上がっている実感があります。年齢を重ねるというのは、プロフィール画面にある数字が1つ増えるだけなどという意味ではなく、やはりそれ以上に多くのものをまとっていると考える方が妥当でしょう。やはり、決断をするというのは疲れるものなので、どうしても昨日までと同じような人生を歩みたくなってしまいますが、20代の自分と30代の自分は違う、それを受け入れる必要があると思っています。

もちろん、30代の今の自分と40代の将来の自分も違うでしょう。おそらく、今以上に体力も低下し、やりたいことができない場面も増えてくることと思います。逆に、今よりも増えていくもの、良くなっていくものもあるでしょう。その年代年代ごとに、ベストになるものもあれば、そうならないものもある。そういう変化をしっかりと受け入れ理解した上で、自分の行動を決めていく必要があるのかと考えています。

さて、では30代として何をするべきなのか?

先ほども書いた通り、40代ほどは体力などの衰えを感じることがない30代。20代よりも周囲からの信頼感などが増している30代。悪くいえばどっち付かずですが、良くいえばどちらも併せ持っている状態なわけです。つまり、人生の中で今ほど新しい行動、チャレンジを起こすのに適した時期はないわけです。そう考えることも出来そうですよね。

ふと気を抜くと、昨日までと同じ今日があり、今日と同じ明日以降があると思い込んでしまいますが、実際はそんなことはなく、常に変化が起きているわけです。今自分が何をすると良いのか、あらためてしっかりと考え直してみたいです。